2011年10月28日金曜日

家庭の日だより 第35号

青少年育成観音寺市民会議が発行した「家庭の日だより第35号」を届けていただきました。日々、少年育成に尽力されている観音寺市少年育成センターの所長様始め、職員の皆様方に、心からのお礼を申し述べる次第です。
合掌。


以下、掲載された拙文のテキストと家庭の日だより全文の画像データをアップロード致します。
合掌。

感懐
作文の課題である自立、私には随分と難しいテーマである。
省みれば、家人に第一子の懐妊を告げられた時、自らの人生が始まったように思う。それまでの私は、社会に対しても嫌な世の中だと言っておれば良かったのである。然し、斯様な世界に、自らの子供を送り出すとなれば、流石の私もうろたえてしまった。その時間が自らの一歩を踏み出す機縁だったように思う。
二十五歳だった私は、学問に向かう真摯さ、これを、当時、身近に居た一回り年長の先学の姿から学んだ。彼は言語学、私は思想史、分野こそ異なるが、以降、自らの専門性を高める為、先輩の指導の下、それなりの努力をすることとなる。
例え微々たる力と言えども、自らの守備範囲に於いて、この世に生を受けた恩返しをする。その時間の中で、長子の誕生を待つ。この時、私は、曖昧模糊とした形ではあるが、自立と呼ばれる第一歩を踏み出していたのかもしれない。
という次第で、斯様に晩熟であった私が、子供たちに自立を語る資格は無いのである。人は、その時が来なければ、充分な力を発揮することなど出来ない。
ただ、一つ、ショートカットがあるようにも思う。日本という母国の庇護があってこそ、人は初めて生きていくことが出来る。この確固とした事実を自明のものとして、幼少の頃より学ぶことが出来たならば、子供たちは、国家や故郷、家族を身近に感じ、より早い時から、自らを律し、学問に臨めるのではないだろうか。
合掌。







Photo by Goda.
Sentence by Goda.

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